2023年に法人設立50周年を迎えた株式会社サン・フレア。半世紀にわたり最先端の科学技術をはじめとして、あらゆる業種・業態における翻訳実務を手掛けてきました。
「最先端の産業科学技術と文化の翻訳・ドキュメンテーション事業を通して、人々の豊かな生活と、社会の進歩と調和に貢献します。」を使命に掲げ、翻訳・ドキュメンテーション事業の専門家集団としてよりよい知的パートナーとなり、企業がチャレンジするビジネスの成功に力を注いでいます。
萩原副社長は、サン・フレアに入社後はサン・フレア アカデミーの企画立案を皮切りに、営業や新規事業の立ち上げに携わってきました。
今回は笹井社長との出会いから、同社のサービスコンセプトとなっている「ドキュメント総研®」について、さらに50周年を迎えたサン・フレアが今後目指していくことについて語っていただきました。
笹井社長と同じビジネスコンセプトを持っていたため入社を決意
――50周年を迎えて今の想いをお聞かせください。
まず笹井社長はすごいなあ…と素朴に感じています。創業オーナーということで、社員と社友(翻訳者等)の生活を守るために、人生と財産の全てを賭けて会社を成長させてきました。日本にはいろいろな会社がありますけど、翻訳会社として50年続けてきたのは、当社の笹井社長以外いないのではないでしょうか。そういう意味では、日本で唯一の人になると思います。
笹井社長は50周年に向けて「感謝」という言葉をキーワードにしていますが、50年かけて事業を磨き上げてきた人ならではの重みがあると感じています。
――萩原副社長が、サン・フレアに入社したきっかけは何でしたか?
私が入社したのは2000年ですが、それ以前に3年ぐらいのお付き合いがありました。私は前職で国家試験、資格試験の講座のプロデューサーをやっていました。その時講師をお願いしていた公認会計士の先生が、笹井社長と懇意にされていたのです。
ちょうど笹井社長が、当社のサン・フレア アカデミー(当時、翻訳実務教育学院)の運営をどのようにしていくかと思案されていた時期でした。その公認会計士の先生を通じて、前職の社長のところに学校経営のアドバイスを求めに来られました。それが縁となって知り合いになり、その後「一緒に仕事をやろう」とお声がけいただきました。
私は前職の会社には20歳の頃からアルバイトとして働いていまして、そのまま就職したんです。かねてから35歳になったら違う世界にいこうと決めていて、退職するつもりでした。35歳になり、当初の予定どおり退職した後、私は仲間と一緒に資格試験と実務をつなげるコンサルティングの会社を設立して独立しました。その時の最初の仕事が、サン・フレア アカデミーのコンサルタントだったんです。
私は若い頃から、資格の学校は合格させるためのメソッドを提供できるけれども、実務への連携がないと感じていました。もしこの2つを一体化できれば、世の中のためになるのではないかと考えていました。このビジネスコンセプトが、笹井社長の「翻訳者を育てて実務に就いてもらう」というものと同じだったんです。
このことを笹井社長に話したら「だったら翻訳業で実現したらいいじゃないか」とおっしゃってくださいました。私は社長業をやりたくて独立したわけではなく、ビジネスを世に問いたくて独立したわけですから、サン・フレアに入社して笹井社長のお世話になろうと決心したのです。
7000年続く会社を目指し「時代をサーフィンしていく」
――サン・フレア アカデミーを通じて「翻訳といえばサン・フレア」と知名度が上がったと感じます。その理由は何だと思いますか?
私が思うに、知名度はまだまだです。翻訳業を手掛けていらっしゃる会社は、大小合わせてかなりありますし、お客様のところに伺っても、皆さまが当社をご存じなわけではありません。私たちが思っているほど認知度は高くないのでは…と感じています。
50周年ということで、世間一般でいえば「長く事業をおこなってきた会社」と思われるかもしれませんが、笹井社長は「7000年続く会社」をゴールにしているので、まだまだ助走の段階だという話をされています。これから原点に戻って市場に向かっていくことが必要なのかなと思っています。